フィギュアスケート路線をいざ出発♬♬

さあ、もうすぐフィギュアスケート路線が出発しますよ!!各駅にはフィギュアスケートの情報が満載!特にコストルナヤ選手の情報はお見逃しなく!!ぜひご乗車ください!!

浅田真央が愛された理由「2つの目標」を貫いた高い信念

 今回は、日本フィギュアスケート界において最も愛されたスケーターの一人であろう浅田真央さんについてお伝えしていきます。

 


 引退までの15年間に見届けたのは、2つの険しい目標に挑み続ける姿でした。愛された理由は、貫き通した信念にありました。


 【ノーミス】と【トリプルアクセル】。人々を魅了し続けた浅田さんのスケーターとしての姿勢は、この2つの言葉を抜きには語れません。


 自らを試合に強いタイプではなかったと評する浅田さんは、本当に勝負強さに欠けていたのでしょうか。一般的には2010バンクーバー五輪、2014ソチ五輪と2回出場した五輪で金メダルを逃した印象が強いかもしれないですが、世界選手権を3回制した浅田さんを本番に弱いスケーターと決めつけるのは誰にでも出来ません。


 山田満知子コーチは浅田さんがノービスで戦っていた2003年当時、浅田さんの率直な性格は試合で実力を出しきれないことにもつながっているとの発言もしています。


 ただその後の2004年シーズンでは緊張が伴う大きな大会で勝ち切る強さを手に入れ、ジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア選手権を制してシニアでの快進撃につながる道を歩みだしました。


 13歳の頃は試合になると緊張のため、練習で出来ることを本番で出来なくなっていた自分を競技人生で誰よりも感じていたのは浅田さん本人だったかもしれません。試合で強くない自負を負いながら、日本のエースとして国際大会で戦い続けた浅田さんを支えていたのが【ノーミス】をしたいという強い意志ではないでしょうか。


 【ノーミス】の演技をするには浅田さんが選んだひたすら練習する以外に、ジャンプの難度を落とすという方法もあります。失敗する危険性の高い大技を回避し、確実に跳べるジャンプだけでプログラムを組む方法は邪道ではありません。


 浅田さんはその方法を選びませんでした。彼女が選んだのは当時女子で跳び続けるのは浅田さんだけだったトリプルアクセルに挑戦し、ノーミスの演技をするという険しい道でした。


 小学5年生から26歳まで試合でトリプルアクセルを跳び続けました。この姿勢は競技人生を通して一貫していました。浅田さんは引退試合となった2016全日本選手権でもショートとフリー共にトリプルアクセルをとんでいます。


 そんな浅田真央さんの鍛錬が結実したのが2014ソチ五輪フリーの演技でした。冒頭のトリプルアクセルを皮切りに6種のトリプルジャンプを着氷させたセルゲイ・ラフマニノフピアノ協奏曲第2番」は【トリプルアクセル】を跳び、【ノーミス】をするという競技人生で目指した滑りでした。


 引退会見で400人を超える報道陣が集まり、テレビで生中継されるほど、愛され続けた理由はバンクーバー五輪の銀メダルだけではないでしょう。トリプルアクセルとノーミスという高い目標に真っ直ぐ挑み続けた浅田真央さんは金メダルが絶望になったソチフリーでも目標を見失いませんでした。


 15歳でグランプリファイナルを制したときから26歳の全日本選手権までトリプルアクセルに挑んできた姿勢を見てきた私達も浅田真央の物語は大切な宝物となっています。


 私自身もテレビの前で応援していました。時には録画もしながら。人を引きつける力があります。今後も元気な姿を見せてほしいです。


 今回は以上です。ありがとうございます。